感想 『グロテスク』
絵表紙
すみません。
いろいろとあって、投稿がずいぶん遅れました。
この本は五百三十六ページにもなる超長編で、その上一ページの字数が多いので、結構読むのに時間がかかりました。読書スピードが遅く、わからない言葉はいちいち調べる私は、その上テストや学校行事などが重なってしまい、余計に読み終えるのに時間がかかりました。
いやあ・・・この本は、やばいです。
私は図書館の先生に、読んで鬱になるような本ってありますかって聞いたんです。そしたらその先生はこの本をおすすめしてくださったんですが、一言で言うと、この本を読むと、鬱を通り越して、中に書き込まれていることへの感慨に老けてしまいます。
正直言って、私にとってこの本に書かれている内容の六十パーセントは共感できないことで、また四十パーセントは理解できなかったことだったのではないのかと思います。
和恵や私は、ユリコという生まれながらの娼婦に始終振り回され、挙句の果て、二人ともユリコに憧れ、娼婦を経由にエクスタシーを試みます(和恵は作中ではもうすでに亡くなったことになっています)。
その経由で書かれていることがもう・・・形容しがたい。世界観がまるっきり違うのです。何が正しくて、何が間違えなのか。そんなことがわからなくなる。
ほかに、すごい感じた点が一つあって、あたりまえって言っちゃあそうなんですけど、この作品は、章ごとに作中の登場人物一人ひとりに寄り添って、その登場人物の一人称視点として描かれているのですが、みんな同じ一つの事柄について語っているのに、語っている人によって、その事柄の真実が全く別なものになっているところが痛いほど伝わってきました。
桐野先生はおそらく、ここに結構なこだわりを入れたんじゃないでしょうか。みんながみんな自分の暗闇に背を向け、描写ではあたかも「自分だけはずっと正しかった、優秀だった」と書いているところが、本当に読んでいて何度も伝わってきました。思い込みと言うか、現実から逃げているとでもいうのでしょうか。
しかし、その現実から逃げているということすら、この作品はそれを正当化させてしまう。
娼婦と言うと、みんな嫌がるし、絶対になってはいけないものだというかもしれません。ですがユリコはもといい、和恵や、ラスト辺りの「私」からしてみれば、娼婦こそが自分を支える、アイデンティティの重役を担っていたのです。
人それぞれの世界観があって、何が正しいも、何が正しくないもないし、偏見だって横行しているこの社会なんだから、固定観念などと言ったくだらないものは、できるだけ捨て去った方がいい。悪いものなんてない。私はこの本を読んで、そのことに気づきました。
はたから見たら醜い和恵でも、懸命に戦っている彼女を、私はむしろ美しく思いました。まあ、それはただの私の幻想なんでしょうけど(笑)。
とにかくこの本は難解です。納得しがたい。
だけど、文章は読みやすいし、内容を理解する分には全然大丈夫です。私が言っている難解というのは、内容が理解できないんじゃなくて、登場人物一人ひとりの思想に納得がいかない点があったりする、ということです。
はっきり言って、カタルシスだけのために読みたい、という方でしたら、この本は絶対にお勧めできません。世についての見識を広めたい、そんな願いをもって読もうとしている方のみに、この本を私は勧めます。
この本は、読者になだれ込むものが多すぎる気がします。
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